その時・・・
いろいろ書こうと思っていたことはあるのだけど、やっぱり地震のことから書いておかないと他のことが書けそうにないので書いておこうと思う。
と言ってもこれから書くのはあくまで個人的な体験の方で、政治的なことや、今自分に出来ることは何かとか、原発事故に対する意見・感想などではない。そういったことは既にネット上にあらゆる言説が溢れていて、ざっと眺めれば自分の立場に近い意見も散見されているので、ことさら自分の考えるところを主張したり、自分とは違う意見に対して批判をしたりするよりも、それぞれがそれぞれの思うように考えればよいと今の時点では思っている。
3月11日金曜14時46分、自分は某駅にできた新しいビルで新店舗オープンのための準備作業をしていた。朝から作業をして、夕方には他のメンバーと入れ替わって学校に行く予定で、そろそろ作業を切り上げてオフィスに戻ろうかと思っていたころ、大きな揺れに見舞われた。
新しいビルだけあって免震構造だったのか、立っていられないほどの揺れではなかったものの、やはり今まで体験したことのない大きな揺れだった。新しい店舗にはまだ物がほとんど置かれていなかったこともあり、物が散乱したり何かが倒れてくることも無かった。
その後、大きな余震は揺れを感じたけれど、震度2くらいではほとんど揺れを感じていなかったので、免震のビルはすごいなと感心した。防災センターからの館内放送でも、ビルは安全なので外に出ないようにと伝えられた。
徐々にネットやテレビなどで情報が入ってくるにつれ、震災の規模の大きさに現実感が薄れ、週末に予定されていた作業がこのまま出来るのかどうかもわからず、交通機関は全面的にストップしていて帰れるのかさえわからない。携帯もつながらなくなって、家族や相方がどうしているかも確認が取れない状況に不安を覚えた。とりあえず、自分の安否だけでも携帯の掲示板に入れておこうと、初めて災害掲示板に投稿した。
かなり早い段階で今日は帰れそうに無いなと思い、近くのコンビにで飲料と、その日の夜と次の日の朝に食べれそうなものを購入。ずっとネットは生きていたので、情報収集しつつ会社とメールのやり取りなどして、どうすればよいか判断を待っていた。夕方ごろ、当日の全ての作業は延期して帰宅できる人は帰宅するようにとの指示が出たが、週末作業がどうなるのかまでは判断が出ず、帰ろうにも帰れそうに無いのでそのまま待機することに。
最終的には、翌月曜日オープンのスケジュールは変えないので、店舗オープンの作業に関しては粛々と進めよとの命。ま、自己判断で帰ってもよいとはなっていたものの、組織の出す結論なんてこんなもんだよねとやや興ざめだった。やっぱり優先順位がおかしいような気がするのは自分だけなのか。。。
夜になってやっと親や相方からメールが入る。父は僕が投稿した掲示板を見て安否の確認は出来ていたとのこと。auとSoftbankを使っているんだけど、やはりSoftbankは弱い。
さて、仕事。新しいビルの前に仮設店舗があり、そこから荷物を搬出・搬入しないといけなかったのだけど、作業予定の運送会社が当日は来れないことになり、そこに残ってしまった自分も含め他の作業の業者さん達で、ある程度の荷物の運び出しをすることになる。朝方3時ごろまで作業をして、やっとこ4時頃に床にダンボールを敷いて仮眠を取る。
翌12日土曜。朝7時過ぎにはなんとなく目が覚めてしまい、コンビニにコーヒーを買いに行って、昨日買っておいたパンを食す。やはり朝のコンビニにはおにぎり、お弁当、パンなど、カップラーメンなど、色々なものが売り切れになっていた。
12日は電車も動いていたので予定の業者さん達も集合して、作業開始。19時ごろまで作業してまだ残り作業が若干あるものの、さすがに今日は早めに帰ろうと言うことで残りは翌朝に回し、やっと帰宅。
13日日曜も午前中だけ片付け仕事をして終了。午後は相方とのんびり過ごす。
と言うわけで新しい店舗は14日(月)に無事オープンした。まだ12日、13日あたりの方が交通の混乱も無く落ち着いてたね。14日からご存知の通り、計画停電の影響で交通が大きく乱れて首都圏は大混乱だった。
今はだいぶ落ち着いたけど、激混みの電車に乗るのはそれこそ何かあったら即圧迫死だろうし怖いので、僕は朝5時30分~50分ごろに家を出て出勤している。7時前には職場に着く感じ。それとビルの5Fが職場なんだけどエレベーターはほとんど使ってない。閉じ込められたくないしね。
以上、”私”の体験でした。(個人的な記録のために。)


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